大判例

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名古屋高等裁判所 昭和54年(ネ)595号 判決 1984年4月19日

控訴人

X

右訴訟代理人

大脇保彦

鷲見弘

大脇雅子

飯田泰啓

長縄薫

名倉卓二

初鹿野正

樋上益良

樋上陽

飯沼昭典

被控訴人

Y

右訴訟代理人

庄司桂

主文

原判決を取り消す。

控訴人が別紙第一目録記載の各物件につき、所有権を有することを確認する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一  当事者の申立

控訴人は、主文同旨の判決を求め、被控訴人は、「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする。」との判決を求めた。

第二  当事者の主張

一  控訴人の請求原因

1  訴外甲崎甲次郎(以下「甲次郎」という。)は、祖先の祭祀を主宰する者として別紙第一目録記載の各物件(以下「本件祭祀物件」という。)を所有していたところ、昭和五三年一月一〇日に死亡した。

2  甲次郎(明治三四年二月二五日生)は、理容業を営んでいたが、昭和五二年一二月二三日ころ死期の迫つたことを自覚して、控訴人に対し自分の跡を継がせるべく、家産の全部にあたる別紙第二目録記載<編注・略>の土地、建物(以下「本件土地建物」という。)を贈与するとともに、併せて、祖先の祭祀を主宰すべき者として控訴人を指定した。

すなわち、甲次郎の相続人としては、昭和一四年に死亡した妻花子との間の長女○(大正一二年三月八日生)、長男被控訴人(大正一三年四月一七日生)、三男○×(昭和八年一月二七日生)及び四男×(昭和九年二月二七日生)並びに再婚した妻よし子及びその間の長女控訴人(昭和三〇年四月二八日生)があるところ、甲次郎は、控訴人をとりわけ可愛がつて、その幼少時から自己の後継者と思い定め、盆、暮の仏事、彼岸会の行事など祭祀を手伝わせるとともに、控訴人に要請して、その大学進学の志望を捨てさせて東京の理容学校に学ばせたうえ、本件建物における店舗の設備も最新のものに改めて、右学校の履修を終えた控訴人とともに理容業に従事して来たものである。それゆえにこそ、甲次郎は前記のように本件土地建物贈与の意思表示と合一して、控訴人を祖先の祭祀を主宰すべき者に指定したのであり、なお、本件土地建物の所有権移転登記手続については、甲次郎が司法書士に委任して、昭和五三年一月九日にこれを了している。

3  被控訴人は、ともとも甲次郎方に同居していたが、昭和三〇年ころから同人と融和を欠くようになり、昭和三六年二月ころ、甲次郎作成名義の隠居届を偽造して、これを九木浦共同組合(以下「組合」という。)に提出し、かつ、自己が、その組合員たる地位(株)を相続によつて承継した旨の虚偽の申出をしたことから紛議を生じ、同年一二月甲次郎は被控訴人を被告とする民事訴訟を提起するまでに至つた。その際、甲次郎は、併せて組合を相手方として自己が組合員であることの確認を求めたところ、組合は甲次郎の請求を認諾したので、被控訴人に対する上記の訴は取り下げられたが、被控訴人は尾鷲市九鬼町(以下「九鬼町」という。)に居たたまれず、間もなく同町を離れて千葉県下に転居し、爾来十数年間、甲次郎とは全く音信不通の状態になり、親子の絆も途絶した。そして、被控訴人は甲次郎死亡の数日前になつて九鬼町に姿を現わし、控訴人らの配慮で甲次郎に会つたものの同人は一言も口を利かず、死に至るまで被控訴人に心を開くことがなかつたのみならず、甲次郎は花子との間の他の子たちとも、死に至るまで親子としての交際をしてはいなかつた。

4  ところで、民法八九七条は祭祀の承継人につき「被相続人の指定した者」を第一の、「慣習に従つて主宰すべき者」を第二の、「家庭裁判所が定めた者」を第三の順位としている。しかして、第一の「指定」の方法については何の制限もなく、被相続人の意思が判る方法ならば良く、他方、被指定者についても資格の制限はない。したがつて、甲次郎の前記のような所為が右「指定」を充足するものであることは明らかである。

5  したがつて、控訴人は甲次郎の死亡によつて祭祀主宰者の地位に就き、同時に、本件祭祀物件の所有権を承継取得したところ、被控訴人は自己が甲次郎の長男子であることのみを根拠として、祭祀主宰者たる地位を承継したとし、本件祭祀物件の所有権は被控訴人にある旨主張している。

よつて、控訴人が本件祭祀物件につき、所有権を有することの確認を求める。

二  請求原因事実に対する被控訴人の認否及び反論

1  請求原因1項の事実は認める、同2項のうち、甲次郎の身分関係、相続関係は認めるが、その余の事実は否認する、同3、4項の各事実は否認する。

2(一)  被控訴人は、甲次郎とは終生父子としての信頼と愛情によつて結ばれ、また、九鬼町から転出した後も郷里の親戚や友人との交際、交通を続けていた。曽て昭和二三年ころ、甲次郎は事業に失敗し、失踪して大阪に在り、被控訴人が、連れ戻したのであるが、しかし、甲次郎は組合の持株を担保に供して借金をし、これが返済を迫られた結果、被控訴人に返済を依頼したので、被控訴人において債務を引受け、その代償として甲次郎の持株の譲渡を受けたのである。ところが、火力発電所が建設されるについて、漁業権補償金が組合員に支払われるとの噂を聞いた甲次郎は、被控訴人に株の返還を迫り、被控訴人がこれに応じなかつたため、被控訴人と組合を相手に訴訟を提起するに至つた。そこで、被控訴人は、親子間の争いとみられることを恥じ、何も関係のない組合に迷惑をかけることに耐えられず、甲次郎の請求を認諾して訴訟を終了させたため、その後は甲次郎との父子関係も平常に復した。ただ、後妻のよし子が甲次郎と被控訴人との間を険悪化させるよう策動したのである。

(二)  九鬼町の経済は、組合の統括しているぶり大敷による巨大な漁業(定置網)と林業(植林)の上に成り立つており、住民は、生活の基盤を組合の配当金(収益金)に依存して来た。その結果として、組合は九鬼町の経済及び相続を支配し、組合規約によつて相続する者(民法上の相続ではなく、組合員たる地位の承継を指す。)は一人に限定され、慣習として、右規約による組合の承継者が祭祀の承継者になるものとされている。本件についてみれば、控訴人は甲崎佳代子(甲崎和子)の持分の相続人であつて甲次郎の相続人たりえず、被控訴人が甲次郎の長男子としてその組合員たる地位を昭和五三年一月二八日に承継したのであるから、慣習に従つて祖先祭祀の主宰者たる地位をも承継し、本件祭祀物件の所有権を取得した。

(三)  なお、甲次郎の葬儀に当つては、控訴人の母よし子とその兄山本久男が、被控訴人及びその姉川上○、弟甲崎○×、同甲崎×らには何らの通知もせず、参列もさせずに、控訴人だけでこれを行つたのである。

三  被控訴人の反論に対する控訴人の認否

被控訴人が九鬼町の慣習と主張するものは、旧民法時代の遺風に過ぎず、また、家を継ぐ長子が株の取得者となる趣旨の組合の規約は現在もなお存続してはいるが、これは内容的に憲法の精神に反し、民法九〇条の規定により法源としての効力はない。もし、九鬼町における慣習を挙げるならば、葬儀の際に、位牌を持つた者をもつて祭祀主宰者に定めたことを公表する儀式であるとする慣習があり、これに則れば、甲次郎の葬儀においてその位牌持ちを勤めた控訴人がまさに祭祀主宰の承継者であり、組合もまた控訴人を右承継者と認めている。

第三  証拠関係<省略>

理由

一甲次郎が祖先の祭祀を主宰する者として本件祭祀物件を所有していたところ、昭和五三年一月一〇日死亡した事実及び同人の身分関係、相続関係は、当事者間で争いがない。

二<証拠>を総合すると、次の事実が認められる。

1  甲次郎は、昭和二六年九月ころよし子と内縁関係に入り、所有にかかる本件建物に設けた店舗で理容業を営んで来た。そして、前妻との長女△は既に昭和二二年二月近隣の川上正之のもとに嫁ぎ、長男被控訴人はその妻幸子、二子とともに甲次郎方に同居して、主に漁業に従事していたが、甲次郎がよし子との婚姻届を出し、かつ、控訴人が出生した昭和三〇年ころから、甲次郎との仲は兎角円満を欠くようになり、ために一時は九鬼町内に別居し、その後、同三二年五月幸子との離婚を経て同三四年七月丙地美子と結婚してからは、再び甲次郎方に同居したりし、また、三男○×及び四男×はともに理容師の資格を得て、甲次郎と一緒に働いていた。

しかるに、昭和三六年二月ころ、被控訴人が甲次郎に無断で同人名義の「隠居届」を作成してこれを組合に提出し、自己が組合員たる地位を相続によつて承継した旨の虚偽の申出をし、組合がこれを受理したことから、甲次郎は被控訴人及び組合を相手方として訴訟を提起するに至つた。右訴訟は、昭和三七年一月一七日、組合において「組合員であることを確認する」旨を求める甲次郎の請求を認諾したことから、甲次郎において被控訴人に対する訴を取下げて終了したが、このような紛争にともない、甲次郎と被控訴人との間は一層険悪化し、右訴訟終了のころ被控訴人は甲次郎方を離れ、やがて、昭和四〇年前後には九鬼町から千葉県下へと転居して、新次郎との音信を絶ち、○×、×も、ともに、昭和三六年一一月八日分籍して甲次郎の許を去つて、その後それぞれ東京、神奈川方面に転居し、加えて、同じ町に住む○との間も疎遠になつて、結局、甲次郎と先妻の子らとの間には、昭和四〇年ころから、全く交流が途絶えてしまつた。

2  他方、甲次郎は、よし子及び控訴人と円満な日常を過しながら前記の家業に励み、かつ、ともに祖先の祭祀行為につとめて来たが、ことに被控訴人ら前妻の子らが次々に甲次郎の許を離れてからは、控訴人を家業の後継者と思い定めるようになつた。そこで、甲次郎は、控訴人自身は高校を卒えてから大学への進学を希望していたにもかかわらず、敢てこれを説得して、東京の高等理容学校に進ませ、その課程を修了した昭和五一年秋ころからは、設備等も一新した本件建物の店舗において、甲次郎と控訴人とが相携えて理容業を営むようになつた。

3  かくして、甲次郎は、折あるごとに、よし子のみならず第三者に対しても「自分の跡は一切控訴人に継がせる」旨を述べ、控訴人に対しても「養子をもらつて位牌を守るよう」に告げていたが、昭和五二年一〇月ころ、家産のすべてにあたる本件土地建物を控訴人に譲渡することを決め、弟子にあたる吉澤元から紹介をうけた仲芳秀司法書士にその手続などを諮つた。しかし、甲次郎は昭和五二年一二月二二日肝障害により尾鷲市民病院に入院のやむなきに至つたので、右の機会に、仲司法書士に依頼して控訴人に本件土地建物を贈与する旨の同月二三日付証書を作成するとともに、同司法書士に右贈与を原因とする所有権移転登記手続を委任し、昭和五三年一月九日その旨の登記を了した。その間、甲次郎は昭和五二年一二月二八日ころ仮退院したけれども、翌五三年一月一日消化管出血により再入院し、その後、尿毒症を併発して、よし子、控訴人に看取られながら前示のように同月一〇日死去した。

4  控訴人<編注・被控訴人?>は、前示吉澤元の計らいで連絡を受け、昭和五三年一月七日ころ、○とともに、ようやく病床に在る甲次郎を訪れ、一〇分足らずの時を過したにすぎなかつた。そして、同月一九日の葬儀は、控訴人が施主となつて執り行われ、甲次郎は、控訴人によつて甲崎家の菩堤寺である真巌寺に埋葬された。

<証拠判断略>。

三前項認定のような一連の経緯に鑑みれば、甲次郎は控訴人に対して、遅くとも前示昭和五二年一二月二三日に本件土地建物を贈与するとともに、併せて、控訴人を祖先の祭祀を主宰すべき者として指定したと解するのが相当である。けだし、当時に至るまでの甲次郎と控訴人との生活関係、反面、甲次郎と被控訴人及びその姉弟との地域的、情誼的関係、なかんずく甲次郎が自己と同業の資格を有する三男○×、四男×を差し置いて、控訴人に敢てその初心を翻えさせてまで家業を継がしめたこと、など諸般の事情を斟酌すれば、甲次郎において唯一の資産とみられる本件土地建物を控訴人に贈与したという事実は、これが他の相続人らの遺留分を侵害するか否かは措き、まさに右時点において、控訴人を祭祀主宰者たらしめる甲次郎の意向を客観的に具現したものとして、右指定の意思を推認するに十分なものだからである。

してみれば、控訴人は、甲次郎の死亡によつて祖先の祭祀主宰者たる地位に就き、同時に、同人から本件祭祀物件の所有権を承継取得したものというべきである。

四被控訴人は、前示のように甲次郎が属していた組合では、組合規約によつて組合員たる地位を承継する者は一人に限られ、かつ、慣習として右規約による組合員の地位承継者が祭祀の承継者になる旨を主張し、そして、<証拠>に徴すれば、被控訴人は組合規約に基づき甲次郎の死亡に伴つて昭和五三年一月一八日組合員たる地位を相続承継したことが認められる。

しかしながら、被控訴人主張のような慣習が存するとしても、被相続人による指定が慣習に優先することは民法八九七条の規定に明らかなところであるのみならず、原審証人三諸純雄は、前示真巌寺の住職として「組合は個人の家の祭祀承継者を誰にするかについて実質的な権限はないと思う」旨を、同じく原審証人川上委男は昭和五四年三月当時の組合長として「組合長の地位の承継とは別に、一般財産の相続や承継は組合の関知するところではなく、また、組合員の葬式の際に誰が位牌を持つかなどは組合とは関係がない」旨を、さらに、当審証人稲葉圓治は昭和五五年一〇月当時の組合長として「組合規約によつて承継されるのは組合員たる地位だけであり、祭祀のことまで組合が決めるべきものでないことは間違いない」旨を、それぞれ証言している(<証拠判断略>)。以上の各証言に照らせば、被控訴人において甲次郎の組合員たる地位を承継した事実があるからといつて、甲次郎の祭祀主宰者の指定に関する前示のような意思の推認が妨げられるものではないというべきである。

五以上の次第で、控訴人の本訴請求は理由があるからこれを認容すべきところ、右請求を棄却した原判決は不当であつて、本件控訴は理由がある。よつて、原判決を取り消したうえ控訴人の本訴請求を認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(中田四郎 名越昭彦 木原幹郎)

第一目録

一 控訴人住所地所在の甲崎家の仏具、位牌等一式

一 三重県尾鷲市九鬼町三一四番地「真巌寺」境内内所在の甲崎家の墳墓一式

第二目録<省略>

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